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安詳塾の主張「実践教育論」 安詳塾 塾長 川本宇天

  1. 幼児期に「生きる力」を創る
  2. 厳しい大人の存在
  3. 進歩する能力を幼児期に創る。
  4. おわりに-「安詳恭敬」を身に付ける-。
 幼児期に「生きる力」を創る

 第一次反抗期(2歳半~3歳頃)を向かえて小学低学年頃までが、人間が教育を受ける最も重要な時期であると考えます。これは、動物行動学や心理学等で言われる「臨界期」(critical period)にあたり、この時期に様々な能力を創っておかないと、大人になってからでは身に付かないという考えです。すなわち、幼児期を疎かにしますと「ニート」(若年無業者)に代表されますが、精神年齢が2歳児のままで止まってしまい、打たれ弱く、幸せも実感出来ず、何にでも他人のせいにして家族や社会に迷惑を掛ける大人になってしまう可能性が高いのです。

 昨今、「生きる力」が脆弱な日本人が増えていると問題視されております。教育の目的は独立(自立・自律)でありますが、要するに「生きる力」も幼児期に創っておく必要があります。そのために重要な努力とは限界を感じること、本能行動をするという二点にあると考えます。格闘技では相手と戦うことによって恐怖、生死を感じるため、必死になって攻撃本能を発散させることが可能なのです。脳幹、大脳辺縁系を刺激することによって生命力(人間の本能)を鍛えるため、格闘技は適した教育活動であると言えます。

 

 厳しい大人の存在

 子供は不快感(恐怖、痛み、疲れる事等)から逃げてしまいます。これまでに経験したことがないこと、出来ないことに対して恐怖を感じ、その現実から逃げようとしますが、それでは進歩出来ません。メリハリある態度、つまり頑張る能力、真剣になる能力、行動力も経験しないと身に付きません。故に、目的をもって、出来ないことを出来るようになるために、頑張って行動し、そして達成感を味わい、進歩を実感するためには、厳しい大人が目的をもって行動させる戦略的スパルタ教育が必要になるのです。

  昨今の教育思想では、「口で諭して子供に理解してもらい、納得してもらうことが大切だ」「子供の意思を尊重することが大切だ」「強制ではなく、子供と寄り添うことが大切だ」等と言われておりますが、「ならぬことはならぬものです」(会津藩「什の掟」)であり、とにかく行動させます。大人の言うことを聴かず駄々をこねる場合には、叱り、怒鳴り、時には手が出るという厳しい教育が重要であります。何故なら、第一に理性よりも本能が優位に生きる幼児には綺麗事や理屈は通用しない点。第二に行動が伴わなく、出来ない事への言い訳ばかりを言ってしまう点。「でも・・・」「だって・・・」と言い訳が昨今の子供に多く見られるのはそのためです。第三に、嘘を付いて大人をコントロールする狡賢さが身に付いてしまう点です。また、大人から褒められるであろう行動を演じる様になります。孔子も説いております「巧言令色鮮し仁」(綺麗事を言う人は自己を正当化して他者を操ろうとしているから悪人である)と。第四に「何故叱られたのか?」と自らの頭で思考する機会(考える力)を奪ってしまう点です。

  「人間は力のある者を信じる」とは『君主論』ニッコロ・マキャヴェッリの言葉でありますが、子供は強い大人(とりわけ強い父親)が居ないと情緒が不安定になります。昨今は、精神的にも肉体的にも弱い男子が多い様に感じますが、私は情緒障害児と接した経験から、その家庭は父親が教育を放棄し(無関心)、母親が過保護・過干渉であることが分かりました。母親(女性)は母性本能(戦術的な養護感)によって子供が苦を感じていると見ていられずに助けてしまいます。しかしながら、父親(男性)による目的をもった子供の将来を見据えた教育(戦略的な教育観)も子供の進歩のためには必要不可欠なのです。

 

 進歩する能力を幼児期に創る。

 長年教育に携わってきた私が子供達に願うことは、大人(独立者)になった時に幸せな人生を送る能力を身に付けてもらうことです。幸福とは進歩した時に出る感情であるから、進歩する方法を身に付けておけば良いと考えます。人間以外の他動物は、進化は出来ても進歩は出来ません。人間の場合は、守られた無力な状態の赤ん坊から第一次反抗期に幼児へと進歩するように本能が出来ております。「まだ3歳の幼児だから厳しく育てる必要はない」ではなく、「もう3歳だから訓練(教育)が必要である」と考えるべきなのであります。人生において最重要な幼児期は限られた時であるから貴重なのです。

  かつて子供の遊びは、上下関係、正しいいじめ、喧嘩のある「子供世界」、自然に囲まれた危険な環境において本能が鍛えられておりました。危険な遊びにおいて子供達は脳幹、大脳辺縁系―本能―を鍛えておりました。ところが昨今では大脳新皮質―理性―ばかりを使う遊びに変化してしまったことが問題であると感じます。大脳新皮質(理性脳)は大人になってからでも鍛えられますが、原始脳と呼ばれる大脳辺縁系は幼児期までに使っておかないと未発達で萎縮した状態になってしまうのです。何故なら、成長するに従って大脳新皮質が優位に働き、理性的に人間は生きることになるからです。私自身、様々な年齢の子供達、青年達と接してきましたが、やはり幼児期が最も善き方向へと進歩することが出来ると感じました。理性が未発達な幼児期は本能で生きるために進歩も早いのです。小学三年生頃になりますと、訓練の様子を見ておりましても、やはり言い訳をして出来ないことから逃げようとします。故に、幼児期に自己の限界突破を経験し、艱難辛苦を乗り越えられる能力を創っておくことが後の人生に生きると考えます。

 

 おわりに-「安詳恭敬」を身に付ける-。

 「安詳塾」という名称を使い、主に武道団体(硬式空手道、防具付き空手道に参戦)として活動しておりますが、「安詳」とは、朱子『小学』の「小児を教ふるには、先づ安詳恭敬ならしむるを要す。」という教えに出てきます。

  「安詳」とは、(心身一如であるから)精神も肉体も安定させることが出来たら一所懸命になることができ、全力で行動する故に進歩するという意味です。逆も同じで、一所懸命になると意志力で集中するため安定し、進歩するという意味です。

  「恭敬」とは、己の分際、実力、弱さを知り、「恥」を感じて、より高き尊敬すべき人から学ぼうと目標に向かって努力する意志のことです。

  昨今では、叱って罰を与えることは悪い指導方法であると言い、癖すらも「個性」という綺麗事で片付けてしまい子供を褒め持て囃す傾向にあります。その結果、子供は思い上がり、怠ける癖が身に付くと同時に、罪悪感も育まれないのです。「自分は偉い」と思った時に人は進歩の必要がなくなります。自分の弱さを知るからこそ、進歩するために努力をするのです。努力は、一所懸命になる点が良いです。一所懸命とは、自己を欺かず、弱さに直視します。そして勇気を奮って欠点を克服する行動が進歩の根本的原動力なのです。

  したがって、「安詳恭敬」を幼児期に経験を積んで進歩の能力を身に付け、独立した人間性の高い真のエリートになり、日本国を善き道へと導いてもらいたいと願うのであります。

場 所
 聖マリアン保育園 (東京都渋谷区恵比寿)
日 時
 日曜日
 9:00-10:30 幼児部(年中児、年長児)
 10:45-12:30 小学生の部

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